よりもい ~Dear my friend めぐっちゃん~

 

キマリとめぐみ、2人の関係がどんな風に変化してきたのか?作品を視聴する中で理解してきたつもりですが、改めて自身の情報整理のために、「友達」「親友」というキーワードを通して考えようと思います。

 

この作品を通してメインテーマであった「友情」、作中では様々な友情が描かれていますが、人間は弱い生き物なのだと思う反面、たとえ一人でもだれかとの強い絆があれば生きられるという事を、強く感じました。また、自分がそれまで親友だと思っていた人に対して、不信感や疎遠感など感じた時、一旦自分と向き合ってみることの大切さ、その結果自身の行動に何か問題があるなと感じたら、それを正直に相手に伝えられる勇気、それを持てることが人としてより良く生きていく上で、重要なものであると痛感いたしました。

  

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「親子」「友達」「親友」

 

それではまず、人と人との関係について考えて行きたいと思います。

 

作中で報瀬が人間関係を考えるのに、うってつけの言葉を言っています。引用しましょう。

 

「友達なんて、親子とも夫婦とも違うぼんやりしたものだし、いつ消えてもだれも責任を負ったりしない。~中略~ でもだから自由で、だから一緒にいられる気がする。」

 

ここは、結月が「友達ってどういうものなんだろう?」と悩んでいて、それに対し報瀬と日向が彼女の悩みに答えようとしているシーンです。

 

彼女が言っていることは、ある意味正論です。

ではポイントとなる、血縁関係があるものとないものとの違いを見てみましょう。

(夫婦については、友人からの発展形であり、家族と友人の間に位置すると思われますが、子供がいる場合、別居してる場合など様々なタイプが考えられ複雑になるので、ここでは考えません。)

 

 親子
 ・保護する側とされる側の関係。(きちんと育てるも含む)
 ・相手を自分で選べない。
 ・どんな関係でも受け入れるしかない。(虐待などの特殊な状況を除く)
 ・生まれた時からいる。

 友達
 ・保護する義務もされる義務もない。(付き合い方も自由)
 ・相手を自分で選べる。(限られた中から自由に選択できる)
 ・別れることもある。(自由に選択できる)
 ・生まれた時にはいない。

 

両者の違いは明らかです。

親子関係には様々な法の網がかかります。子供は弱い立場であり、親の保護を受けなければ生きられないからです。

一方友達はどうでしょうか?確かに、自由で、いつくっつこうが離れようがそこに法的責任はありません。それが一般的な友達という定義です。ではより深い関係だったらどうでしょう?

 

友達の関係が深まり、さらに深い友情で支えられている関係、ここでは仮に「親友」という言葉で表現します。それについて、「親子」「友達」と同じように見ていきます。ただし「友達」と「親友」の違いを明確にしたいので、当然ながら、先ほどとは項目が異なってきます。

 

この作品では、友情の深さ、質という面において、ある意味その極みという部分を見た思いがしましたので、そこを「親友」の条件として考えました。そうすることで両者の違いを明確にできると思ったからです。

ここでも報瀬の言った言葉を引用しましょう。

 

「恥ずかしいことも、隠したいことも、全部さらけ出して、泣きながら裸でまっすぐに自分自身に向き合いました。一緒に一つひとつ乗り越えてきました。」

 

これは作中で、報瀬が越冬隊に別れの挨拶をするときに言った言葉です。 

自分たちが歩んできた南極までの道のり、そして南極での生活、それらを通して培われてきた彼女たち4人の人間関係を見事に表しています。

 

これを「親友」という言葉の持つ条件にしてみます。また、第13話のキマリが言った友情を総括するような言葉があります。

 

「一緒にいられなくても一緒にいられる。だって、もう私たちは私たちだもん。」

 

これも「親友」を現すのに適当な言葉だと思いますので、ちょっと表現を変えますが付け加えます。

 

 友達

 ・好き
 ・趣味が合う
 ・話が面白い
 ・性格が合う
 ・目的が一緒

 親友

 ・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
 ・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
 ・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
 ・共通の想いによって支えられている信頼
 ・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い
 

前述の通り違いを明確にしたため、その差は大きく両者の溝は簡単に埋まらないような気がします。ですが「親友」は「友達」の発展形なので、実はその境目ははっきりしていません。そして「責任」についても双方大きな違いはなく、共に法的責任はありません。道義的責任については、全くないとは言い切れませんが、これもほぼ考えなくていいと思います。「親友」という深い関係になった場合、別れるにしても、必ずそのことを相手に伝えるでしょう。黙っていなくなるなどの行動をとった場合、道義的責任は発生しますが、それはまれなケースと思っていいと思います。

 

しかしこれが、別れ以外のケースとなると、道義的責任はその顔を出してきます。お互いの付き合いにおいて、相手の夢を壊すことが自分の利益になるというようなことが起きます。そんなことが親友という関係で起こりうるのかという事ですが、キマリとめぐみとの関係が正にそうだったと私は考えています。

 

 

キマリとめぐみ(めぐっちゃん)

 

それではここからキマリとめぐみの関係について見てゆきましょう。

 

 まず砂場で2人が遊んでいるシーン、そこでキマリとの関係で、めぐみが感じたことを述べているセリフがあります。そこを引用します。

 

「なんか嬉しかった。」「お姉ちゃんになったような気がした。」

 

幼稚園児のこういう素直な気持ちはそのまま受け取ります。

これはキマリとの関係において、お世話を焼いてあげたい、というようなある意味福祉的な考えです。自分が世話をして相手がそれを喜んでくれる、それを自分の喜びとして捉えることが出来るという事です。ただ、その気持ちの中には優越感が潜んでいます。

しかし彼女がそう思い、キマリとの関係を築いてきた結果、その関係は10年以上も続きました。つまり、この関係は双方にとっていい関係であり、ギブアンドテイクの要素も間違いなくあったとみるべきです。アニメで描かれているシーンの多くは、キマリがめぐっちゃんに南極行きの話をしているところです。南極行きについては、めぐみが成し得て欲しくないと思っていることです。だからそこだけを見ると彼女が意地悪な性格だと思ってしまうのも仕方のないことでしょう。でも、日向ならこう言うのではないでしょうか?「アニメで描かれているシーンが全てと思うなかれ。」

 

それでは、2人の関係はいつから始まったのでしょうか?

作中では明確に描かれていません。砂場の場面も2人がどのくらい前から一緒に遊んでいたかまでは提示してくれていません。ですが、この場面が、これからの2人の関係を大きく決定づけた場面になったことは疑う余地はないでしょう。

 

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ここでキマリはうまく自分のしたいことが出来ません。砂の中に貯めた水が減っていくシーンが描かれています。キマリが半べそをかくと、「わかった、わかった」と言いながら、めぐみは水を汲みに行きます。この言葉が既に上から目線を感じますが、だから「めぐみの性格が悪い」などと言うつもりはありません。自分たちの社会に置き換えても、そうしたことは良くあります。通常は自分と対等と思っていても、その人が困って解決を見いだせないでいる時、自分がその解決方法を知っていたら、同じように若干の優越感を持って対応することは茶飯事だと思います。むしろそれが人として当たり前の意識だと思うのです。

 

そしてその行動を近くで見守っていた幼稚園の先生に褒められ、彼女は嬉しくなります。自分が認められたという思いですね。そして、「マリちゃん、明日遊んでも良いよ。」と遊ぶ約束を相手に委ねようとします。これは選挙の関係で考えると分かりやすいと思いますが、選ばれる側と選ぶ側、選ばれる側がみんなの代表で、選ぶ側が一般市民みたいな構図です。これも前出と同じように、自分が人よりも優位に立った時に、人が自然にしてしまう行為です。それが人の上に立つものとして余裕のある立ち居振る舞いだと、錯覚してしまいがちです。

 

めぐみにとって不幸だったのは、これが二人の関係を築くベースになってしまったという事です。めぐみがキマリの面倒を見るという役回りが決まってしまい、それを変えることが困難になりました。

 

キマリは自分があまり物事を考えなくても、めぐみがいろいろ手伝ってくれるので、そういった意味では余り悩まずにハッピーな感覚を味わうことが出来たでしょう。好奇心旺盛なため、色々なことに手を出しますが、ひとりで最後まで成し遂げることがなかなか出来ない、でも近くにめぐっちゃんがいるとすぐに助けてもらう、そんな日々が続いて行ったのでしょう。

 

この時の2人の関係を先ほどの条件と照らし合わせてみると、 

 

 友達

 ・好き
 ・趣味が合う
 ・話が面白い
 ・性格が合う
 ・目的が一緒

 親友

 ・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
 ・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
 ・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
 ・共通の想いによって支えられている信頼
 ・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い

 

まあ、ほとんど想像の世界ですが、太字アンダーラインのところがそれに該当すると思います。2人が幼稚園児なので無理もありませんが、いくら仲が良くてもこの段階はまだ、ここで言う所の「友達」という範疇だったと考えます。

 

やがて2人は小学校に入ります。

彼女たちは、お互いに他の人に対してより最も多くの時間を割き、その関係を醸成していったことでしょう。

学校の放課後、家の近所で遊ぶことはもちろん、買い食いしたり、一緒に出掛けたり、お互いの家に泊まったり、様々なことをしてきたはずです。第1話のめぐみがキマリに「泊るときは口裏合わせておいてあげる。」は、それまで幾度となく、お互いの家に泊まった経験があるから言えることですよね。もしかすると家族ぐるみでの付き合いも、あったかもしれません。

 

ここで、親友の要素を彼女たち二人に当てはめてみます。

 

 親友

 ・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
 ・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
 ・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
 ・共通の想いによって支えられている信頼
 場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い

 

この二つが該当しそうです。

「2人の場所が離れている」ことはありませんが、それまで築いてきたものの大きさ、積み重ねられてきたものに対する彼女たちの想いなど考えると、時がたっても変わらぬ想いには該当すると思いますので、入れておきます。

この時点で彼女たちの関係は「親友」に入ってきます。

 

やがて、2人が中学生になり成長すると、その心にも変化が訪れます。

キマリが他の人との比較や、これから大人になるためにどうしたらいいのか?いろいろと考えるようになります。

 

思春期の到来です。

 

そこで、「高校生になったらしたいこと」と題して、その時胸に抱いていた目標を手帳に記したのでしょう。

 

 ・日記をつける
 ・一度だけ学校をさぼる
 ・あてのない旅に出る
 ・青春する

 

それは、「自分には何もない」という焦りのようなものから、発せられたものだったかもしれません。それを一年間ほったらかしにしていた為、彼女はさらに焦ります。

 

取り立ててやるにしても、すぐにできそうなのは「日記をつける」くらいです。

 

「一度だけ学校をさぼる」は、やり慣れている人にとってはメチャクチャハードル低いですが、キマリは一度もしたことがありません。自分が規格外の方向へ行動するという考えは持つことが出来ても、自らそこへ一歩踏みだすことが出来ないのです。それはこれまで歩んできた人生と無縁ではありません。めぐみが手伝ってしまう為、ひとりで最後までやり抜いたという成功体験が少ない。これは自分が何かを始めようと思った際に、なかなか一歩を踏み出せない原因に直結することだと思います。めぐみには自分の手助けが、キマリの成長阻害要因になっているという認識がないのです。

 

「あてのない旅に出る」は、さらにハードルが高く、自分の意志でどこかに行かなければなりません。めぐっちゃんがあてのない旅はしていないと分かった時に、一緒に行こうと思いつきますが、その行動から気持ちを見透かされ「そういうのは、一人で行くから意味があるんじゃない?」とたしなめられます。ここで、めぐみがキマリを突き放す行動に出て成長を促しているようにも見えます。でもそれは限定された成長であって、下記のようにならない程度に、コントロールされたものと思っていいと思います。もちろんめぐみにはそんなことをしている意識はないのです。

 

               めぐみ ≦ キマリ

 

キマリは最初の挑戦を試みますが、結局のところ何もできないで帰ってきます。

 

あれほどめぐみが段取り組んで用意していたにも関わらずです。

これは後の報瀬が、どんなに人からバカにされても自分の意志を貫こうとしている姿と対極にあるものです。要は報瀬との対比を明確にして、キマリが報瀬と行動を共にする意思をなぜ持ったのか知ってもらうための伏線です。

 

ともあれ、この時めぐみには余裕がありました。常にキマリの半歩先にいて色々なことを先にやってあげる。今回のことは、キマリがそれを叶えたいと言うから、その手伝いのために背中を押した、彼女にとっては今までと同じパターンの繰り返しでした。

 

 

報瀬登場

 

しかし、事態は風雲急を告げます。

 

報瀬の登場です!

 

人からバカにされても自分の意志を貫き、ひたすら目標に邁進する報瀬。

この彼女の姿勢がキマリに何かを気付かせます。

 

前述の通り、彼女のその姿勢はキマリにとって、自分が目指そうとしていた以上のもの。そんな自分とは正反対の「報瀬の強さ」に、深く強く感銘を受けたのでしょう。自分では到底たどり着くことのできない所業を、この報瀬という自分と同学年の子はやって退けている。そして心底打ちのめされた、と言っていいかもしれません。

 

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だからめぐっちゃんに対し、如何に報瀬が凄いのかを力説します。しかしめぐっちゃんには通じません。逆に、南極に行けない理由を聞かされてキマリは反論できなくなってしまいます。それでもキマリは心の奥で感じ取った何かを、消し去ることはできませんでした。

 

キマリは報瀬を応援しようと立ち上がり、その思いのたけを報瀬にぶつけます。

結果的にはこれが2人の関係を後戻りできない方向へ向かわせる、逆止弁のような効果を持つものになりました。2人の友情はここから始まったとみていいと思います。

 

 

一方でめぐみの気持ちはどうだったでしょう?

 

めぐみは報瀬に対し、あまり良いイメージを抱いていません。

なぜでしょうか?

 

自分が理解できない行動をとる人のことを人は変人と言います。多くの生徒がそうであるように、めぐみもまた、報瀬のことをそう思っていました。いいえ、私も多分、同じ学校にそんな人がいたら変人と思ったことでしょう。

多くの場合、芸術家のように一部の優れた功績を残している人は別にして、変人というのは見下したり馬鹿にしたりする対象になり得ます。そのことについては、めぐみもまた例外ではありませんでした。だから「南極」という揶揄した表現をし、キマリに近づけたくなかったのです。

 

なので、彼女はキマリが自分の誘いを断り、報瀬との付き合いを継続しようとしていることを直感的に感じると、悪意を持って、100万円の情報を流したのです。

その行動の源にあるのはキマリを縛っておきたい、自分の元にいて欲しいという自分勝手な欲求です(親友にそんな契約はありません)。ただ、めぐみがそのことを意識出来ていたわけではありません。彼女にしてみればそれは「キマリとの関係を守りたい」という思いだったでしょう。

 

     キマリ 守りたいもの:めぐっちゃんとの関係        ...A

         壊したいもの:一歩前に踏み出すことのできない自分 ...B

     めぐみ 守りたいもの:キマリとの関係(自分の傍におきたい)...C

         壊したいもの:南極に行きたいというキマリの幻想  ...D

 

守りたいものは表面的には共通です。問題なのは壊したいもので、めぐみの壊したいものが、キマリの夢になっています。”D”を壊すと”B”は実現しません。

めぐみにとっては、”D”を壊さないと”C”が守れないと思っているのですが、キマリは”B”を壊しても”A”は守れると思っているのです。そこが決定的な違いです。

 

ここで、二人の関係をそれぞれの立場から「親友」の要素で見てみましょう。

  

 親友(キマリから見ためぐっちゃん)

 ・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
 ・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
 ・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
 ・共通の想いによって支えられている信頼
 ・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い

  親友(めぐっちゃんから見たキマリ)

 ・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
 ・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
 ・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
 ・共通の想いによって支えられている信頼
 ・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い

 

キマリは、めぐみが変わったことをまだ認識していません。依然彼女のことを「親友」と見ています。

めぐみは、キマリが自分から離れてしまい、今まで築き上げてきたものが崩れかけていると感じています。変わらぬ想いは、変わらぬ想いではなくなりました。信頼関係にもひびが入っています。彼女にとって今しなければいけないことは、キマリを何とか思いとどまらせ、元の関係に復帰させることなのです。ただ、今までの人間関係が邪魔をして、彼女は自分からキマリに頼むことが出来ません。そこで、何とかキマリ自身が南極行きを諦めるための工作をせっせとすることになるのです。「キマリを縛っておきたい」という本心が見えないために、それが正しいことだと勘違いしています。

 

実はめぐみが変わってしまったので、正しい視点から見れば、キマリから見ためぐっちゃんが「親友」の要件から外れ、めぐみから見たキマリは変わっていないので、「親友」の要件を保っているという、逆転現象が起こっています。

 

 

別れのシーン

 

ここまでキマリとめぐみの関係、そして彼女たちの心の内を自分なりに考えてきました。

 

ここからは第5話の名シーンをめぐみのセリフで回想したいと思います。そのセリフを区切って、どうしてそんな言葉を言ったのかについて考えて行きます。では引用します。

 

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「くっついて歩いているのはキマリじゃなくて、わたしなんだって」

 

めぐみはこの想いに至るまで、どんな考えを巡らせたのでしょうか?

カラオケから帰る道すがら、キマリから「自分がどうして南極へ行くことを目指したのか?」その原因を聞くことになります。それこそが自分の心のカギを解くヒントでした。

 

それはめぐみ自身だったのです。

 

 めぐみが自分の優位性を保ち続けたために、キマリがいつも置かれている自分の地位を変えようとして起こったことなのです。つまりキマリとの関係が出来てから、ずっと何の迷いもなく継続していた関係に問題があったと、彼女は悟ったのです。

 

これはきついことです。なぜなら,それまでの自分の人生の大半をかけて築き上げてきたものを否定するようなものですから...最初は受け入れがたかったでしょう。でもそれを自分自身と向き合って真摯に汲み取る作業をして行ったのだと思います。 

 

「キマリに頼られて、相談されて、あきれて、面倒見るようなふりして、偉そうな態度取って、そうしてないと何もなかったんだよ、私には。」

 

結局、相手が喜んでくれた福祉の想いは、そこに優越感という当たり前の感情が少しばかり入ったために、自身が上から目線でキマリを見るようになってしまいました。最初のほんのちょっとした想いの違い、その関係をベースに育ててしまったため、そこから抜け出すチャンスを見いだせなくなってしまいました。そして、キマリより上にいるという安心感から、自分を研鑽することをせずに、その地位にあぐらをかく結果となりました。

 

「自分に何もなかったから、キマリにも何も持たせたくなかったんだ。」

 

キマリが自分よりも成長したら、今まで築いてきた関係が壊れてしまうという深層心理から、彼女はキマリに一定以上の成長を望んでいませんでした。特に南極行きをキマリが目指してからは、それを邪魔するような行動ばかりをとってきました。

 

「ダメなのはキマリじゃない、私だ。ここじゃないところに向かわなきゃいけないのは、私なんだよ!」

 

自分にこそ、成長を目指して一歩前に進むことが必要だと気づきました。

 

今までの人生全否定に近い状況、心は大きく揺さぶられていたに違いありません。それでも、今まで一番大切な親友と思っていたキマリと別れることを覚悟して、自ら謝罪に行きます。この覚悟はあっぱれという他ありません。誰にでもできることではもちろんないし、これほどの友達への想いというものがこの世にあるでしょうか?南極行き表明後の様々な発言、情報の流布、これについてももちろん謝りましたが、一番大きいのは自分がどうしてそんなことをしてきたかなのです。それはキマリとの関係が確立した時からの事、全ての原因はそこにありました。そのことを、キマリに知ってもらいたかったのでしょう。大切な人を欺きたくないという心が、彼女をその行動に駆り立てたのだと思います。

 

 

キマリにもめぐっちゃんの気持ちは伝わったでしょう。彼女は「絶交無効」と言い残して旅に出ます。

 

キマリはこういいたかったのだと思います。

 

「めぐっちゃんがずーっとしてきてくれたこと忘れない。私が困った時はいつも助けてくれた。悩み事も相談に乗ってくれた。いろんなところに遊びにも行ったよね。それは私の心の中にある大切な想い出、そのことは何も変わらないよ! 今までありがとう...そして、本当なら言いたくない事、そのまま言わなければ分からなくなってしまう様なことも、全部話してくれた。それだけで十分。私にはめぐっちゃんの気持ちが分かるから...私はこれから南極に行くけど、これからもめぐっちゃんとは繋がっていたい。だから...ね。」

 

 ここでの二人の関係を「親友」の要素で見るとこんな感じです。

 

 親友

 ・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
 ・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
 ・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
 ・共通の想いによって支えられている信頼
 ・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い

 

この瞬間2人の関係は、復活しました。むしろ以前よりもいい関係に移行したと言っても良いでしょう。

 

 本当は「自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる」という項目も太字にしたかったのですが、この時点で本当にめぐみが、この問題を乗り切ったとは言えないと思ったのです。たぶん彼女はキマリの言葉を受け入れてないと思います。めぐみにとってキマリとの間で築き上げてきたことが、余りにも大きかったからです。

 

再び、彼女は自分と向き合い始めます。それは、「自分がどうあるべきか?」を考えるために必要な時間だったのです。本当に「絶交無効」を受け入れていいのか?それで今までしてきたことが精算されるのか?もし受け入れるならどう向き合ったらいいのか?自分は何なのか?そのほか、いろいろなことを考えたことでしょう。 時には昔を思い出して、涙で枕を濡らすこともあったでしょう。その思いを解決するまで、彼女がどんな心の葛藤をしてきたのかは想像がつきません。

 

過去の自分と向き合い、それまでの価値観を大きくひっくり返すようなことって、私にも経験がありません。例えば会社の上司から人格否定の様なことを言われたらそれだけでも、悔しくて眠れなかったりするものです。きっとそれのもっと大きいバージョンです。違いは自分で気づいたか、人に言われたかですが、これは、人に言われても絶対に受け入れることのできるレベルじゃありません。自分で気づけたからよかったんです。そして過去10年間と言っても、私自身のそれと、めぐみのそれとでは人生に対する割合が違い過ぎます。

 

いずれにせよ、彼女は最終話ラストで北極に行って、吹っ切れた表情をしていました。本当に良かったと思います。きっとキマリの言葉を受け入れることが出来たんでしょう!これで本当の「絶交無効」となりました。

 

それまでと全く違う気持ちで旅に出た彼女は、きっと何かをつかんで帰ってくる事と思います。

 

そして帰ってきた彼女が、キマリとどんな再会を果たすのか?

そんなことを考えて悦に浸っています。

 

                          2018/05/14 <たらこ味>

 

※説明のため、アニメ作中の画面及び、セリフを引用させていただきました。また、画面引用に際しましては、トリミングを行っております。

 引用されたアニメ作中の画面の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります