宇宙よりも遠い場所 ~青春を考える~

 

 

まずタイトルがこっぱずかしいです。

 

「青春」なんてキナ臭い言葉、そんなものをわざわざ掘り起こして、改めてその意味を考えてみようなんて、普通なら思いもよらないことです。

人生のある時期、人が未来に夢を抱いて、でも結局現実の世界に引き戻されてゆく、一部夢を実現できる人もいますが、それはほんの一握りで、多くの人にとってそれは「若き良き時代」という、もう取り戻せない過去の物語だったりします。自分自身を振り返っても、それは「浅はかだったころの自分」「すでに終焉したもの」というイメージで心の隅に小さく固められているようなものでした。

それを改めて考えてみようという気持ちになったのは、「宇宙よりも遠い場所」という作品を見て、今まで観た中でNo.1のアニメだという感覚がありながら、「青春」という言葉の重さが自分が感じている重さと全然違うという、釈然としない想いがあったからです。ならばきちんと確認をして、理解しようと...

 

 

では最初に釈然としない部分について書いてゆきましょう。

 

私がそう感じたのは、第12話での雪上車の中で、目が覚めたキマリが報瀬に「青春できた!」と言っているシーンです。

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そのシーンを再現してみます。

報 瀬『キマリは、南極好き?』

キマリ『ん、だーいすき!』

報 瀬『そう。』

キマリ『でもね、ひとりだったら好きだったか、分からなかったかも...』

報 瀬『そうなの?』

キマリ『みんなと一緒だから..みんなと一緒だったら、北極でも同じだったかも...』

キマリの話にじっと聞き入る報瀬

キマリ『ねぇ、報瀬ちゃん、連れてきてくれてありがとう。報瀬ちゃんのおかげで私、青春できた!』

その言葉に感動する報瀬。

ギターの音(曲名:大人からのYell)

報 瀬『Dear お母さん。友達ができました。~中略~もうすぐ着きます。お母さんがいるその場所に。』

 

すごくいいシーンですよね!

 

 では、以下私が感じたままを書きます。

① キマリの想いは理解できるがどうして最後に「青春」という軽い言葉を持ってきたの?(それまで経験してきたことの重さと釣り合わないなあ~?)

② その軽い言葉に報瀬が どうしてそこまで感動するの?

③ その後報瀬が語ったメールの内容 「どうして今更友達?」

 

もうお分かりかと思うのですが、前述の通り「青春」という言葉は私の中で、過去の経験から触りたくも見たくもない存在と化していたのです。恐らくその意識を正当化するため、その言葉には大した価値などなく、軽いものだという固定概念を持つようになったのでしょう。なので、同じ場面を何度繰り返し見ても、その想いは変わることがありませんでした。

 

ただ、この作品の重要な場面で、自身が理解できない部分があるというのはどうにも気持ちの悪いものでした。そこで、「青春」という言葉について考え始めたのです。

 

考えると、その答えにたどり着くのに、それほど時間はかかりませんでした。

「青春」という言葉を「壮年」や「老年」と同じく人生のある期間を指し示す言葉として捉えると、人の生きざまそのもの、つまり成長や喜びや悲しみ、悩みなど全てをひっくるめたスケールの大きな言葉になります。ただ、「壮年」や「老年」と違うのは、それが人生の中で一番精神的に成長する時期に割り当てられた言葉だという事です。いろいろなことに挑戦できて、様々な失敗もし、でもそれすら吸収し成長の糧として生きて行ける輝かしい時、それが「青春」なんだと思い当たりました。そして、そう考えることで、すべての謎が解消されたのです!(「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんが、自分が既に知っている気になっていても、実は異なるイメージが付加され、それが正しいと思っていると、本来の意味に気付くことがなかなか出来ないものです。)

 

上記の疑問点の回答はこうです。

① 「青春」は軽い言葉ではない。「友情」「勇気」「希望」など生きるうえでの大切なものを全て包含できる大きな言葉である。(キマリは4人でそれまで乗り越えてきた様々な経験をこの言葉に込めて「青春」と言っている。)

② ならば、これは感動せざるを得ない。(報瀬はそれを汲み取った。)

③ その気持ちを胸に、改めてここまで一緒に来てくれた彼女らのことを想い、そのことをお母さんへ伝えたくなった。お母さんのいる場所はもうすぐそこ。そういった気持ちも相まって、お母さんに今の自分の気持ちを綴るメールを送ったのでしょう。

 

という訳で、この件は一件落着という所ですが、私の中で、全く違った価値観を持ち始めたこの言葉について、この作品でポイントとなる部分を確認してみました。

 

 

この作品において「青春」は、物語を通して、ずーっとテーマとしてあり続けた言葉です。

 

その言葉は第1話で、キマリが手帳に記していました。他の目標は具体的な小さな目標ですが、それはこの物語のテーマと言っても良いほどのものです。 なので、2ページ目という特別な場所に書かれていたのですね!

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キマリは何一つ目標を達成していない、それどころか今までそれに気づかず、のほほんと過ごしていた。そのことにショックを受け大泣きします。

その時点でキマリにとって「青春」という言葉の重さが、自分が思っているそれとは比べ物にならないものだと知るべきでした。

 

キマリにはなかなか最初の一歩が踏み出せない臆病な面と、まだ見ぬものに対する好奇心や、何かやりたいという強い思いが同居しています。第1話でずる休みをする計画を立てながら、できなかった自分に対する嫌悪感の強さが、その中に秘めた強い思いを物語っているように見えました。キマリにとってその想いを実現することこそが「青春」なのです。ただ、それは若いころ誰もが持っている漠然としたもの、それが何なのか自分自身でもわからず、多分ワクワクしたり、自分の成長を実感できたりすることが、そうなんじゃないか?と思っていた...その程度のものだったのでしょう。

ここで重要なのはキマリが想い描いていた「青春」の中身ではなく、その想いがどれほど強いのか、なのだと思います。

 

その思いが強くなければ、彼女は結局報瀬についていくだけの金魚のウンコ的な役割しか果たせなかったでしょう。もっとも強い思いがなければ、第1話での呉港への旅も一歩踏み出すことは叶わず、そうなれば報瀬との関係もそれっきりになっていたかもしれません。第2話最後の日向が発した「緊急動議」に間髪入れず賛成したのは、その気持ちの表れと、推察することができます。

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ここからキマリ(たち)は様々な経験を経て、ついには南極へ向けて旅立ちます。

旅の途中も、南極についてからも、4人で歩いてきた道にはいろいろなものがありました。それまでの経験も、考え方も違う4人。互いに助け合いながら、足りないところを補い合って、生きてきました。この4人にとっての「青春」とは、ここに来るまでの旅の中で培ってきた、友情や信頼関係など(そのほかアニメで描かれていない数々の経験)であると思います。もちろんそれが100%ではありませんが、4人の「青春」は濃密な時間を共有してきたことで、同じ想いで結ばれている、と言っていいと思います。

 

後に報瀬は、第13話越冬隊との別れのあいさつの中でこう言います。

 

『(母は)仲間と一緒に乗り越えられるこの時間を愛したのだと』 この言葉こそが「青春」という言葉の中身なのだと、端的に表した言葉なのだと考えるに至りました。

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そして南極で越冬する大人たちも、間違いなく「青春」を謳歌している仲間なのだと知ることができました。

 

本作品DVD&ブルーレイ第1巻のカスタマーレビューでも書かれている方がいますが、正に「青春賛歌」と呼ぶにふさわしい物語であったと思うのです。

https://www.amazon.co.jp/dp/B078KCR5WH/ref=pe_1807052_289327182_tnp_email_dp_1

 

今回この「青春」という言葉を考えることで、最終的にこの作品の深さに、より感銘を受けることとなりました。

 

 

※説明のため、アニメ作中の画面及び、セリフを引用させていただきました。また、画面引用に際しましては、トリミングを行っております。

 引用されたアニメ作中の画面の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります