よりもい ~エロに隠された真実2~
ひとつ目、結月のお尻について書きました。エロ要素のほとんどない本作ですが、とりあえずもう一つ、色気を感じさせてくれる場面があります。
報瀬の絶対領域です。
これは、第6話シンガポールで夜景を眺めているときのショットです。風になびくスカートが色気を増幅させてくれています。
その下にはシンガポールの街のきらめき。そして停泊している船の光。この景色を見て、心に余裕のない日向以外の三人は物思いにふけります。(正確には二人)
ここで彼女たちが話しているのは、世界の広さについてです。自分が今まで意識もしないで過ごしてきた世界がここにある、そしてそれは地球全体に広がっている、そこには異なった文化の人々が生活を営んでいて、泣いたり笑ったりしている、それに気づいたことが新たな驚きだったのです。
最初はキマリがこのことを語っています。そして途中から結月が参加します。
報瀬はキマリと結月が何故そんなことを言うのか腑に落ちない様子です。
日向は皆の会話に参加する余裕もなく、他に気になることがある様子で...ちょっとかわいそうですね。
報瀬の理由とは別ですが、私も最初この会話が腑に落ちませんでした。
何でこんなことをキマリが言い、結月が同調するのか不思議でした。
それまでの個人の心の動きや、人間関係に焦点を当てている作風に合わないと思ったのです。一旦広い世界に目をやり、視聴者の視線をまったく異なった方向へ向けているように思えました。何を意図してこの場面を入れたのでしょうか?
結局のところ、それは視線をそらしたわけではなく最終的に言いたかったこと、そこへの布石でした。第13話をご覧になった方ならお分かりだと思いますが、キマリが、「ここで別れよう」といったところからEDまで、そこにこの物語のまとめがあります。その途中、ひとり一人が語りを繋いでゆくシーンと重なるのです。
それではそのセリフを引用してみます
キマリ「旅に出て初めて知ることがある。」
報 瀬「この景色がかけがえのないものだという事。」
結 月「自分が見ていなくても、人も世界も変わっていく事。」
日 向「何もない一日なんて、存在しないのだという事。」
キマリ「自分の家に匂いがある事。」
報 瀬「それを知るためにも足を動かそう。知らない景色が見えるまで、足を動かし続けよう。」
日 向「どこまで行っても世界は広くて、新しい何かは必ず見つかるから。」
結 月「ちょっぴり怖いけど、きっとできる!」
最初の「旅に出て~」はそっくりそのまま当てはまります。それに続く4つの「~事」これも全部この場面で話していることです。因みに「自分の家に匂いがある事。」は自分の家を離れて、あるいは立場を変えてみることで初めてわかる事がある、という意味でとらえると、「旅に出て~」とほぼ同義となります。
それに加え、ポイントとなるのは、「どこまで行っても世界は広い」「自分が見ていなくても、世界は変わる事」に対して肯定的であるという点です。
「どこまで行っても世界は広い」⇒だから「新しい何かは必ず見つかる」
「自分が見ていなくても、人も世界も変わっていく事」⇒だから人のことを気にしても仕方がない。自分なりの人生を歩んでいこう。「新しい何かは必ず見つかるから」
結局、「新しい何かは必ず見つかるから」に行きつきます。だから、怖がらずに一歩前に踏み出そう。きっとできる!っていう風につながっていくんでしょう。この言い切りが、また気持ちいいです!
もし、否定的にとらえると
「どこまで行っても世界は広い」⇒自分はちっぽけな存在、価値なんかない。
「自分が見ていなくても、世界は変わる事」⇒だから自分がいてもいなくても同じ。
という自己否定に繋がってしまいます。
4人の反応の違い
ではこのシーンの4人の反応の違いを考えてみましょう。
キマリ 語り役
キマリは、自身の言葉で話しているのでわかりやすいですね。
眼下に広がる街の大きさ、その灯り一つひとつの家々に暮らす人たちのことを考えて、今まで自身が考えてもいなかった世界の広さを実感したのでしょう。そんな街が世界中に広がっている、だから世界はすごい、地球は大きい!と。
普通なら、その大きさに自身のちっぽけな存在を対比してしまい、飲み込まれてしまいそうになるところですが、そうならないところがキマリの良いところです。
そしてその先にあるのは、世界は広くて、新しい何かは必ず見つかる、「だからまた旅に出よう!」というEDの言葉なんですよね。
結 月 同調(語り役)
キマリの考え方、感性に同調できる。(内容はキマリと一緒)
後半自分の言葉で話もしました。
報 瀬 違和感
キマリと結月が何故今更そんなことを言うのか、真意が分からない。
日 向 他のことが気になる
パスポートのことが気になって、会話が耳に入らない。
当然その時の彼女たちの状況がそうさせているので、それを考えてみます。
キマリ 「青春する」という目標が南極行きによって達成されそう。現在進行中。何割かの達成感あり! ※めぐっちゃんとの問題が新たに発生していますが、LINEでのやり取りはあり、友達を継続している認識。
結 月 友達を作りたい。現在進行中。一緒に南極・北極科学館に行ったり、合宿に行ったりしたことが大きな財産になっている。何割かの達成感あり!
報 瀬 母親を探しに行く。現在進行中も先が見えない状態。達成感なし。
日 向 パスポートがない。全く先が見えない。達成感なし。(陸上部の元友達からの裏切り行為によって退学。人から気を使われると猜疑心を抱いてしまう。全く先が見えない。達成感なし。大学入学模試判定A 何割かの達成感あり!)
達成感の違いで、綺麗に分かれました。
キマリ、結月については、過去の嫌だったもの、一歩踏み出せない自分や、学校の友達との関係を旅の前に二人とも清算しており、前を向いて歩ける状態。日向は大学入学につては模試判定Aと充実しているが、今肝心なのはパスポート。
つまりアニメでは前を向いて歩ける2人に、未来を語らせることにしたのでしょう。
報瀬は、自分のこととして心に言葉が降りてこなかったのかもしれません。客観的にしか物事をとらえられない、そんな心の状況が表現されているように感じます。
めぐっちゃんの役割
さて、 キマリが、「ここで別れよう」といったところからEDまでの下りで、その後に続くキマリの言葉があります。
結 月「ちょっぴり怖いけど、きっとできる!」
キマリ「だって...」
この後に続く言葉は何だったのでしょう。
アニメではこの後めぐっちゃんとのLINEのやり取りになって、彼女が北極に行ったことを知ることになるのですが...
キマリ「同じ思いの人はすぐ気づいてくれるから」
きちんと答えを言ってくれています。同じことの繰り返しになりますが、だから「旅に出よう」ってなるわけですよね。
ここで、めぐっちゃんが一人で旅に出たことで、この物語は4人だけの特別な物語ではなくなります。我々視聴者に対する「ひとり一人が思い立った時に旅に出られるよ。」という優しいメッセージが聞こえます。最後の最後で、この物語は視聴者に夢を託して終わりました。(実際にはお金とか時間とかいろいろあるんだけどね)
過去記事「よりもい ~Dear my friend めぐっちゃん~」でも書きましたが、めぐっちゃんの状況はかなりひどかったはずです。
そこまででなくても、人それぞれいろいろな悩みはもっていることでしょう。それを解決する方法の一つとして、このアニメは「旅」というものを提案してくれたんだと思います。
私もついこの間、二週間ほど旅に行ってきました。最初は長いと思っていましたが、行ってみるとあっという間ですね。会社を休むための準備も大変でしたが、何とかやり切りました。最終日は館林に一泊、聖地巡礼も果たしました。館林にはまたお邪魔したいと考えています。館林の皆さん、その節はよろしくお願いいたします。
2018/06/12 <たらこ味>
※説明のため、アニメ作中の画面及び、セリフを引用させていただきました。また、画面引用に際しましては、トリミングを行っております。
引用されたアニメ作中の画面の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります