コンビニ経営だよ、報瀬ちゃん!
「コンビニ経営だよ、報瀬ちゃん!」
何故か4コマです。
キマリ達4人が大人になって、再び南極を越冬隊で目指す頃のお話です。
~設定~
キマリ=高校を卒業して、美術系の専門学校へ行き就職もするが、クライアントの要望に合わせたデザインをするのが肌に合わないらしく、一旦会社を辞め、館林のコンビニでバイトをしている。
報 瀬=高校卒業後、人の命を救いたいという気持ちから看護婦を志す。しかし、ボランティアを通じて、もっと大きな地球を救うという夢に目覚めてしまい、結局看護学校は中退。地球を救うための資金を得るために、個人事業主として独立することを決意。
日 向=大学卒業後、南極へ越冬隊で行く話が具体的になったため、就職活動はしていない。現在は館林のコンビニでバイトをしている。
結 月=芸能活動を継続中。テレビドラマや、バラエティー番組での出演が多かったが、越冬隊の話が具体的になり、芸能活動の一環として参加することになる。
どうぞご覧ください。
2018/06/29 <たらこ味>
※この作品はアニメ「宇宙よりも遠い場所」の二次創作に当たります。絵はアニメの画像を元に描いております。また、セリフについては、アニメ内で使用されている言葉をそのまま転用している部分があります。
アニメオリジナル画像の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります。
金元寿子さんについて
私は金元寿子さんのファンです。
宇宙よりも遠い場所を見始めたのも、彼女がそのアニメに出ていたからです。
主役の4人ではありませんでしたが、かなり重要な役回りに演技を期待していました。彼女は見事、私の想いに答えてくれたと思います。
その金元さんが、5月26日、自身のブログで声優休業宣言をしました。最初この情報をTwitterで見た時には、誰かが悪い噂でも流しているんだろうと思いましたが、確認すると自身のブログで自分の言葉でそれは書かれていました。否定しようの無い事実に愕然としましたが、それは彼女自身が、よくよく考えて導き出した答えのはずです。
ならば、きちんとその想いを受け止め、彼女自身の判断を最大限尊重する他はないでしょう!
残念なのは復帰予定までの約半年間、アニメで彼女の新たな声を聴くことが出来なくなることです。
キマリが南極行きに向かって、少しづつ歩んでいるときのめぐっちゃんの気持ちってこんなんだったのかなあと、改めて思いました。やっぱりさみしいですよね。それまでずっと一緒にいた人が離れていってしまうのは...(ちょっと金元さんと私の関係に例えるのは無理がありましたね(*ノωノ))
金元さんにも不安はあるでしょう。この旅が自分に何をもたらしてくれるのか?そんなことはやって見なけりゃ分かりません。正に「よりもい」の世界ですよね。それでも旅に出る決断をした金元さんに、私は拍手を送りたいと思います。現状ではどこに行くのかも発表されていませんが、日本とは異なる文化、言葉、考え方、そして自然などに触れれば、きっと得られるものはあると思います。
また戻ってきたときに、元気な笑顔を見せてください。
私はその時に「残念だったな」と言って、どこかに行ったりはしません。
必ず日本で待っています。
その時まで体調に気を付けて、マイペースでお過ごしください!
金元さんにはそれが一番よく似合いますから。
よりもい ~エロに隠された真実2~
ひとつ目、結月のお尻について書きました。エロ要素のほとんどない本作ですが、とりあえずもう一つ、色気を感じさせてくれる場面があります。
報瀬の絶対領域です。
これは、第6話シンガポールで夜景を眺めているときのショットです。風になびくスカートが色気を増幅させてくれています。
その下にはシンガポールの街のきらめき。そして停泊している船の光。この景色を見て、心に余裕のない日向以外の三人は物思いにふけります。(正確には二人)
ここで彼女たちが話しているのは、世界の広さについてです。自分が今まで意識もしないで過ごしてきた世界がここにある、そしてそれは地球全体に広がっている、そこには異なった文化の人々が生活を営んでいて、泣いたり笑ったりしている、それに気づいたことが新たな驚きだったのです。
最初はキマリがこのことを語っています。そして途中から結月が参加します。
報瀬はキマリと結月が何故そんなことを言うのか腑に落ちない様子です。
日向は皆の会話に参加する余裕もなく、他に気になることがある様子で...ちょっとかわいそうですね。
報瀬の理由とは別ですが、私も最初この会話が腑に落ちませんでした。
何でこんなことをキマリが言い、結月が同調するのか不思議でした。
それまでの個人の心の動きや、人間関係に焦点を当てている作風に合わないと思ったのです。一旦広い世界に目をやり、視聴者の視線をまったく異なった方向へ向けているように思えました。何を意図してこの場面を入れたのでしょうか?
結局のところ、それは視線をそらしたわけではなく最終的に言いたかったこと、そこへの布石でした。第13話をご覧になった方ならお分かりだと思いますが、キマリが、「ここで別れよう」といったところからEDまで、そこにこの物語のまとめがあります。その途中、ひとり一人が語りを繋いでゆくシーンと重なるのです。
それではそのセリフを引用してみます
キマリ「旅に出て初めて知ることがある。」
報 瀬「この景色がかけがえのないものだという事。」
結 月「自分が見ていなくても、人も世界も変わっていく事。」
日 向「何もない一日なんて、存在しないのだという事。」
キマリ「自分の家に匂いがある事。」
報 瀬「それを知るためにも足を動かそう。知らない景色が見えるまで、足を動かし続けよう。」
日 向「どこまで行っても世界は広くて、新しい何かは必ず見つかるから。」
結 月「ちょっぴり怖いけど、きっとできる!」
最初の「旅に出て~」はそっくりそのまま当てはまります。それに続く4つの「~事」これも全部この場面で話していることです。因みに「自分の家に匂いがある事。」は自分の家を離れて、あるいは立場を変えてみることで初めてわかる事がある、という意味でとらえると、「旅に出て~」とほぼ同義となります。
それに加え、ポイントとなるのは、「どこまで行っても世界は広い」「自分が見ていなくても、世界は変わる事」に対して肯定的であるという点です。
「どこまで行っても世界は広い」⇒だから「新しい何かは必ず見つかる」
「自分が見ていなくても、人も世界も変わっていく事」⇒だから人のことを気にしても仕方がない。自分なりの人生を歩んでいこう。「新しい何かは必ず見つかるから」
結局、「新しい何かは必ず見つかるから」に行きつきます。だから、怖がらずに一歩前に踏み出そう。きっとできる!っていう風につながっていくんでしょう。この言い切りが、また気持ちいいです!
もし、否定的にとらえると
「どこまで行っても世界は広い」⇒自分はちっぽけな存在、価値なんかない。
「自分が見ていなくても、世界は変わる事」⇒だから自分がいてもいなくても同じ。
という自己否定に繋がってしまいます。
4人の反応の違い
ではこのシーンの4人の反応の違いを考えてみましょう。
キマリ 語り役
キマリは、自身の言葉で話しているのでわかりやすいですね。
眼下に広がる街の大きさ、その灯り一つひとつの家々に暮らす人たちのことを考えて、今まで自身が考えてもいなかった世界の広さを実感したのでしょう。そんな街が世界中に広がっている、だから世界はすごい、地球は大きい!と。
普通なら、その大きさに自身のちっぽけな存在を対比してしまい、飲み込まれてしまいそうになるところですが、そうならないところがキマリの良いところです。
そしてその先にあるのは、世界は広くて、新しい何かは必ず見つかる、「だからまた旅に出よう!」というEDの言葉なんですよね。
結 月 同調(語り役)
キマリの考え方、感性に同調できる。(内容はキマリと一緒)
後半自分の言葉で話もしました。
報 瀬 違和感
キマリと結月が何故今更そんなことを言うのか、真意が分からない。
日 向 他のことが気になる
パスポートのことが気になって、会話が耳に入らない。
当然その時の彼女たちの状況がそうさせているので、それを考えてみます。
キマリ 「青春する」という目標が南極行きによって達成されそう。現在進行中。何割かの達成感あり! ※めぐっちゃんとの問題が新たに発生していますが、LINEでのやり取りはあり、友達を継続している認識。
結 月 友達を作りたい。現在進行中。一緒に南極・北極科学館に行ったり、合宿に行ったりしたことが大きな財産になっている。何割かの達成感あり!
報 瀬 母親を探しに行く。現在進行中も先が見えない状態。達成感なし。
日 向 パスポートがない。全く先が見えない。達成感なし。(陸上部の元友達からの裏切り行為によって退学。人から気を使われると猜疑心を抱いてしまう。全く先が見えない。達成感なし。大学入学模試判定A 何割かの達成感あり!)
達成感の違いで、綺麗に分かれました。
キマリ、結月については、過去の嫌だったもの、一歩踏み出せない自分や、学校の友達との関係を旅の前に二人とも清算しており、前を向いて歩ける状態。日向は大学入学につては模試判定Aと充実しているが、今肝心なのはパスポート。
つまりアニメでは前を向いて歩ける2人に、未来を語らせることにしたのでしょう。
報瀬は、自分のこととして心に言葉が降りてこなかったのかもしれません。客観的にしか物事をとらえられない、そんな心の状況が表現されているように感じます。
めぐっちゃんの役割
さて、 キマリが、「ここで別れよう」といったところからEDまでの下りで、その後に続くキマリの言葉があります。
結 月「ちょっぴり怖いけど、きっとできる!」
キマリ「だって...」
この後に続く言葉は何だったのでしょう。
アニメではこの後めぐっちゃんとのLINEのやり取りになって、彼女が北極に行ったことを知ることになるのですが...
キマリ「同じ思いの人はすぐ気づいてくれるから」
きちんと答えを言ってくれています。同じことの繰り返しになりますが、だから「旅に出よう」ってなるわけですよね。
ここで、めぐっちゃんが一人で旅に出たことで、この物語は4人だけの特別な物語ではなくなります。我々視聴者に対する「ひとり一人が思い立った時に旅に出られるよ。」という優しいメッセージが聞こえます。最後の最後で、この物語は視聴者に夢を託して終わりました。(実際にはお金とか時間とかいろいろあるんだけどね)
過去記事「よりもい ~Dear my friend めぐっちゃん~」でも書きましたが、めぐっちゃんの状況はかなりひどかったはずです。
そこまででなくても、人それぞれいろいろな悩みはもっていることでしょう。それを解決する方法の一つとして、このアニメは「旅」というものを提案してくれたんだと思います。
私もついこの間、二週間ほど旅に行ってきました。最初は長いと思っていましたが、行ってみるとあっという間ですね。会社を休むための準備も大変でしたが、何とかやり切りました。最終日は館林に一泊、聖地巡礼も果たしました。館林にはまたお邪魔したいと考えています。館林の皆さん、その節はよろしくお願いいたします。
2018/06/12 <たらこ味>
※説明のため、アニメ作中の画面及び、セリフを引用させていただきました。また、画面引用に際しましては、トリミングを行っております。
引用されたアニメ作中の画面の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります
よりもい ~Dear my friend めぐっちゃん~
キマリとめぐみ、2人の関係がどんな風に変化してきたのか?作品を視聴する中で理解してきたつもりですが、改めて自身の情報整理のために、「友達」「親友」というキーワードを通して考えようと思います。
この作品を通してメインテーマであった「友情」、作中では様々な友情が描かれていますが、人間は弱い生き物なのだと思う反面、たとえ一人でもだれかとの強い絆があれば生きられるという事を、強く感じました。また、自分がそれまで親友だと思っていた人に対して、不信感や疎遠感など感じた時、一旦自分と向き合ってみることの大切さ、その結果自身の行動に何か問題があるなと感じたら、それを正直に相手に伝えられる勇気、それを持てることが人としてより良く生きていく上で、重要なものであると痛感いたしました。
「親子」「友達」「親友」
それではまず、人と人との関係について考えて行きたいと思います。
作中で報瀬が人間関係を考えるのに、うってつけの言葉を言っています。引用しましょう。
「友達なんて、親子とも夫婦とも違うぼんやりしたものだし、いつ消えてもだれも責任を負ったりしない。~中略~ でもだから自由で、だから一緒にいられる気がする。」
ここは、結月が「友達ってどういうものなんだろう?」と悩んでいて、それに対し報瀬と日向が彼女の悩みに答えようとしているシーンです。
彼女が言っていることは、ある意味正論です。
ではポイントとなる、血縁関係があるものとないものとの違いを見てみましょう。
(夫婦については、友人からの発展形であり、家族と友人の間に位置すると思われますが、子供がいる場合、別居してる場合など様々なタイプが考えられ複雑になるので、ここでは考えません。)
親子
・保護する側とされる側の関係。(きちんと育てるも含む)
・相手を自分で選べない。
・どんな関係でも受け入れるしかない。(虐待などの特殊な状況を除く)
・生まれた時からいる。
友達
・保護する義務もされる義務もない。(付き合い方も自由)
・相手を自分で選べる。(限られた中から自由に選択できる)
・別れることもある。(自由に選択できる)
・生まれた時にはいない。
両者の違いは明らかです。
親子関係には様々な法の網がかかります。子供は弱い立場であり、親の保護を受けなければ生きられないからです。
一方友達はどうでしょうか?確かに、自由で、いつくっつこうが離れようがそこに法的責任はありません。それが一般的な友達という定義です。ではより深い関係だったらどうでしょう?
友達の関係が深まり、さらに深い友情で支えられている関係、ここでは仮に「親友」という言葉で表現します。それについて、「親子」「友達」と同じように見ていきます。ただし「友達」と「親友」の違いを明確にしたいので、当然ながら、先ほどとは項目が異なってきます。
この作品では、友情の深さ、質という面において、ある意味その極みという部分を見た思いがしましたので、そこを「親友」の条件として考えました。そうすることで両者の違いを明確にできると思ったからです。
ここでも報瀬の言った言葉を引用しましょう。
「恥ずかしいことも、隠したいことも、全部さらけ出して、泣きながら裸でまっすぐに自分自身に向き合いました。一緒に一つひとつ乗り越えてきました。」
これは作中で、報瀬が越冬隊に別れの挨拶をするときに言った言葉です。
自分たちが歩んできた南極までの道のり、そして南極での生活、それらを通して培われてきた彼女たち4人の人間関係を見事に表しています。
これを「親友」という言葉の持つ条件にしてみます。また、第13話のキマリが言った友情を総括するような言葉があります。
「一緒にいられなくても一緒にいられる。だって、もう私たちは私たちだもん。」
これも「親友」を現すのに適当な言葉だと思いますので、ちょっと表現を変えますが付け加えます。
友達
・好き
・趣味が合う
・話が面白い
・性格が合う
・目的が一緒
親友
・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
・共通の想いによって支えられている信頼
・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い
前述の通り違いを明確にしたため、その差は大きく両者の溝は簡単に埋まらないような気がします。ですが「親友」は「友達」の発展形なので、実はその境目ははっきりしていません。そして「責任」についても双方大きな違いはなく、共に法的責任はありません。道義的責任については、全くないとは言い切れませんが、これもほぼ考えなくていいと思います。「親友」という深い関係になった場合、別れるにしても、必ずそのことを相手に伝えるでしょう。黙っていなくなるなどの行動をとった場合、道義的責任は発生しますが、それはまれなケースと思っていいと思います。
しかしこれが、別れ以外のケースとなると、道義的責任はその顔を出してきます。お互いの付き合いにおいて、相手の夢を壊すことが自分の利益になるというようなことが起きます。そんなことが親友という関係で起こりうるのかという事ですが、キマリとめぐみとの関係が正にそうだったと私は考えています。
キマリとめぐみ(めぐっちゃん)
それではここからキマリとめぐみの関係について見てゆきましょう。
まず砂場で2人が遊んでいるシーン、そこでキマリとの関係で、めぐみが感じたことを述べているセリフがあります。そこを引用します。
「なんか嬉しかった。」「お姉ちゃんになったような気がした。」
幼稚園児のこういう素直な気持ちはそのまま受け取ります。
これはキマリとの関係において、お世話を焼いてあげたい、というようなある意味福祉的な考えです。自分が世話をして相手がそれを喜んでくれる、それを自分の喜びとして捉えることが出来るという事です。ただ、その気持ちの中には優越感が潜んでいます。
しかし彼女がそう思い、キマリとの関係を築いてきた結果、その関係は10年以上も続きました。つまり、この関係は双方にとっていい関係であり、ギブアンドテイクの要素も間違いなくあったとみるべきです。アニメで描かれているシーンの多くは、キマリがめぐっちゃんに南極行きの話をしているところです。南極行きについては、めぐみが成し得て欲しくないと思っていることです。だからそこだけを見ると彼女が意地悪な性格だと思ってしまうのも仕方のないことでしょう。でも、日向ならこう言うのではないでしょうか?「アニメで描かれているシーンが全てと思うなかれ。」
それでは、2人の関係はいつから始まったのでしょうか?
作中では明確に描かれていません。砂場の場面も2人がどのくらい前から一緒に遊んでいたかまでは提示してくれていません。ですが、この場面が、これからの2人の関係を大きく決定づけた場面になったことは疑う余地はないでしょう。
ここでキマリはうまく自分のしたいことが出来ません。砂の中に貯めた水が減っていくシーンが描かれています。キマリが半べそをかくと、「わかった、わかった」と言いながら、めぐみは水を汲みに行きます。この言葉が既に上から目線を感じますが、だから「めぐみの性格が悪い」などと言うつもりはありません。自分たちの社会に置き換えても、そうしたことは良くあります。通常は自分と対等と思っていても、その人が困って解決を見いだせないでいる時、自分がその解決方法を知っていたら、同じように若干の優越感を持って対応することは茶飯事だと思います。むしろそれが人として当たり前の意識だと思うのです。
そしてその行動を近くで見守っていた幼稚園の先生に褒められ、彼女は嬉しくなります。自分が認められたという思いですね。そして、「マリちゃん、明日遊んでも良いよ。」と遊ぶ約束を相手に委ねようとします。これは選挙の関係で考えると分かりやすいと思いますが、選ばれる側と選ぶ側、選ばれる側がみんなの代表で、選ぶ側が一般市民みたいな構図です。これも前出と同じように、自分が人よりも優位に立った時に、人が自然にしてしまう行為です。それが人の上に立つものとして余裕のある立ち居振る舞いだと、錯覚してしまいがちです。
めぐみにとって不幸だったのは、これが二人の関係を築くベースになってしまったという事です。めぐみがキマリの面倒を見るという役回りが決まってしまい、それを変えることが困難になりました。
キマリは自分があまり物事を考えなくても、めぐみがいろいろ手伝ってくれるので、そういった意味では余り悩まずにハッピーな感覚を味わうことが出来たでしょう。好奇心旺盛なため、色々なことに手を出しますが、ひとりで最後まで成し遂げることがなかなか出来ない、でも近くにめぐっちゃんがいるとすぐに助けてもらう、そんな日々が続いて行ったのでしょう。
この時の2人の関係を先ほどの条件と照らし合わせてみると、
友達
・好き
・趣味が合う
・話が面白い
・性格が合う
・目的が一緒
親友
・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
・共通の想いによって支えられている信頼
・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い
まあ、ほとんど想像の世界ですが、太字アンダーラインのところがそれに該当すると思います。2人が幼稚園児なので無理もありませんが、いくら仲が良くてもこの段階はまだ、ここで言う所の「友達」という範疇だったと考えます。
やがて2人は小学校に入ります。
彼女たちは、お互いに他の人に対してより最も多くの時間を割き、その関係を醸成していったことでしょう。
学校の放課後、家の近所で遊ぶことはもちろん、買い食いしたり、一緒に出掛けたり、お互いの家に泊まったり、様々なことをしてきたはずです。第1話のめぐみがキマリに「泊るときは口裏合わせておいてあげる。」は、それまで幾度となく、お互いの家に泊まった経験があるから言えることですよね。もしかすると家族ぐるみでの付き合いも、あったかもしれません。
ここで、親友の要素を彼女たち二人に当てはめてみます。
親友
・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
・共通の想いによって支えられている信頼
・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い
この二つが該当しそうです。
「2人の場所が離れている」ことはありませんが、それまで築いてきたものの大きさ、積み重ねられてきたものに対する彼女たちの想いなど考えると、時がたっても変わらぬ想いには該当すると思いますので、入れておきます。
この時点で彼女たちの関係は「親友」に入ってきます。
やがて、2人が中学生になり成長すると、その心にも変化が訪れます。
キマリが他の人との比較や、これから大人になるためにどうしたらいいのか?いろいろと考えるようになります。
思春期の到来です。
そこで、「高校生になったらしたいこと」と題して、その時胸に抱いていた目標を手帳に記したのでしょう。
・日記をつける
・一度だけ学校をさぼる
・あてのない旅に出る
・青春する
それは、「自分には何もない」という焦りのようなものから、発せられたものだったかもしれません。それを一年間ほったらかしにしていた為、彼女はさらに焦ります。
取り立ててやるにしても、すぐにできそうなのは「日記をつける」くらいです。
「一度だけ学校をさぼる」は、やり慣れている人にとってはメチャクチャハードル低いですが、キマリは一度もしたことがありません。自分が規格外の方向へ行動するという考えは持つことが出来ても、自らそこへ一歩踏みだすことが出来ないのです。それはこれまで歩んできた人生と無縁ではありません。めぐみが手伝ってしまう為、ひとりで最後までやり抜いたという成功体験が少ない。これは自分が何かを始めようと思った際に、なかなか一歩を踏み出せない原因に直結することだと思います。めぐみには自分の手助けが、キマリの成長阻害要因になっているという認識がないのです。
「あてのない旅に出る」は、さらにハードルが高く、自分の意志でどこかに行かなければなりません。めぐっちゃんがあてのない旅はしていないと分かった時に、一緒に行こうと思いつきますが、その行動から気持ちを見透かされ「そういうのは、一人で行くから意味があるんじゃない?」とたしなめられます。ここで、めぐみがキマリを突き放す行動に出て成長を促しているようにも見えます。でもそれは限定された成長であって、下記のようにならない程度に、コントロールされたものと思っていいと思います。もちろんめぐみにはそんなことをしている意識はないのです。
めぐみ ≦ キマリ
キマリは最初の挑戦を試みますが、結局のところ何もできないで帰ってきます。
あれほどめぐみが段取り組んで用意していたにも関わらずです。
これは後の報瀬が、どんなに人からバカにされても自分の意志を貫こうとしている姿と対極にあるものです。要は報瀬との対比を明確にして、キマリが報瀬と行動を共にする意思をなぜ持ったのか知ってもらうための伏線です。
ともあれ、この時めぐみには余裕がありました。常にキマリの半歩先にいて色々なことを先にやってあげる。今回のことは、キマリがそれを叶えたいと言うから、その手伝いのために背中を押した、彼女にとっては今までと同じパターンの繰り返しでした。
報瀬登場
しかし、事態は風雲急を告げます。
報瀬の登場です!
人からバカにされても自分の意志を貫き、ひたすら目標に邁進する報瀬。
この彼女の姿勢がキマリに何かを気付かせます。
前述の通り、彼女のその姿勢はキマリにとって、自分が目指そうとしていた以上のもの。そんな自分とは正反対の「報瀬の強さ」に、深く強く感銘を受けたのでしょう。自分では到底たどり着くことのできない所業を、この報瀬という自分と同学年の子はやって退けている。そして心底打ちのめされた、と言っていいかもしれません。
だからめぐっちゃんに対し、如何に報瀬が凄いのかを力説します。しかしめぐっちゃんには通じません。逆に、南極に行けない理由を聞かされてキマリは反論できなくなってしまいます。それでもキマリは心の奥で感じ取った何かを、消し去ることはできませんでした。
キマリは報瀬を応援しようと立ち上がり、その思いのたけを報瀬にぶつけます。
結果的にはこれが2人の関係を後戻りできない方向へ向かわせる、逆止弁のような効果を持つものになりました。2人の友情はここから始まったとみていいと思います。
一方でめぐみの気持ちはどうだったでしょう?
めぐみは報瀬に対し、あまり良いイメージを抱いていません。
なぜでしょうか?
自分が理解できない行動をとる人のことを人は変人と言います。多くの生徒がそうであるように、めぐみもまた、報瀬のことをそう思っていました。いいえ、私も多分、同じ学校にそんな人がいたら変人と思ったことでしょう。
多くの場合、芸術家のように一部の優れた功績を残している人は別にして、変人というのは見下したり馬鹿にしたりする対象になり得ます。そのことについては、めぐみもまた例外ではありませんでした。だから「南極」という揶揄した表現をし、キマリに近づけたくなかったのです。
なので、彼女はキマリが自分の誘いを断り、報瀬との付き合いを継続しようとしていることを直感的に感じると、悪意を持って、100万円の情報を流したのです。
その行動の源にあるのはキマリを縛っておきたい、自分の元にいて欲しいという自分勝手な欲求です(親友にそんな契約はありません)。ただ、めぐみがそのことを意識出来ていたわけではありません。彼女にしてみればそれは「キマリとの関係を守りたい」という思いだったでしょう。
キマリ 守りたいもの:めぐっちゃんとの関係 ...A
壊したいもの:一歩前に踏み出すことのできない自分 ...B
めぐみ 守りたいもの:キマリとの関係(自分の傍におきたい)...C
壊したいもの:南極に行きたいというキマリの幻想 ...D
守りたいものは表面的には共通です。問題なのは壊したいもので、めぐみの壊したいものが、キマリの夢になっています。”D”を壊すと”B”は実現しません。
めぐみにとっては、”D”を壊さないと”C”が守れないと思っているのですが、キマリは”B”を壊しても”A”は守れると思っているのです。そこが決定的な違いです。
ここで、二人の関係をそれぞれの立場から「親友」の要素で見てみましょう。
親友(キマリから見ためぐっちゃん)
・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
・共通の想いによって支えられている信頼
・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い
親友(めぐっちゃんから見たキマリ)
・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
・共通の想いによって支えられている信頼
・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い
キマリは、めぐみが変わったことをまだ認識していません。依然彼女のことを「親友」と見ています。
めぐみは、キマリが自分から離れてしまい、今まで築き上げてきたものが崩れかけていると感じています。変わらぬ想いは、変わらぬ想いではなくなりました。信頼関係にもひびが入っています。彼女にとって今しなければいけないことは、キマリを何とか思いとどまらせ、元の関係に復帰させることなのです。ただ、今までの人間関係が邪魔をして、彼女は自分からキマリに頼むことが出来ません。そこで、何とかキマリ自身が南極行きを諦めるための工作をせっせとすることになるのです。「キマリを縛っておきたい」という本心が見えないために、それが正しいことだと勘違いしています。
実はめぐみが変わってしまったので、正しい視点から見れば、キマリから見ためぐっちゃんが「親友」の要件から外れ、めぐみから見たキマリは変わっていないので、「親友」の要件を保っているという、逆転現象が起こっています。
別れのシーン
ここまでキマリとめぐみの関係、そして彼女たちの心の内を自分なりに考えてきました。
ここからは第5話の名シーンをめぐみのセリフで回想したいと思います。そのセリフを区切って、どうしてそんな言葉を言ったのかについて考えて行きます。では引用します。
「くっついて歩いているのはキマリじゃなくて、わたしなんだって」
めぐみはこの想いに至るまで、どんな考えを巡らせたのでしょうか?
カラオケから帰る道すがら、キマリから「自分がどうして南極へ行くことを目指したのか?」その原因を聞くことになります。それこそが自分の心のカギを解くヒントでした。
それはめぐみ自身だったのです。
めぐみが自分の優位性を保ち続けたために、キマリがいつも置かれている自分の地位を変えようとして起こったことなのです。つまりキマリとの関係が出来てから、ずっと何の迷いもなく継続していた関係に問題があったと、彼女は悟ったのです。
これはきついことです。なぜなら,それまでの自分の人生の大半をかけて築き上げてきたものを否定するようなものですから...最初は受け入れがたかったでしょう。でもそれを自分自身と向き合って真摯に汲み取る作業をして行ったのだと思います。
「キマリに頼られて、相談されて、あきれて、面倒見るようなふりして、偉そうな態度取って、そうしてないと何もなかったんだよ、私には。」
結局、相手が喜んでくれた福祉の想いは、そこに優越感という当たり前の感情が少しばかり入ったために、自身が上から目線でキマリを見るようになってしまいました。最初のほんのちょっとした想いの違い、その関係をベースに育ててしまったため、そこから抜け出すチャンスを見いだせなくなってしまいました。そして、キマリより上にいるという安心感から、自分を研鑽することをせずに、その地位にあぐらをかく結果となりました。
「自分に何もなかったから、キマリにも何も持たせたくなかったんだ。」
キマリが自分よりも成長したら、今まで築いてきた関係が壊れてしまうという深層心理から、彼女はキマリに一定以上の成長を望んでいませんでした。特に南極行きをキマリが目指してからは、それを邪魔するような行動ばかりをとってきました。
「ダメなのはキマリじゃない、私だ。ここじゃないところに向かわなきゃいけないのは、私なんだよ!」
自分にこそ、成長を目指して一歩前に進むことが必要だと気づきました。
今までの人生全否定に近い状況、心は大きく揺さぶられていたに違いありません。それでも、今まで一番大切な親友と思っていたキマリと別れることを覚悟して、自ら謝罪に行きます。この覚悟はあっぱれという他ありません。誰にでもできることではもちろんないし、これほどの友達への想いというものがこの世にあるでしょうか?南極行き表明後の様々な発言、情報の流布、これについてももちろん謝りましたが、一番大きいのは自分がどうしてそんなことをしてきたかなのです。それはキマリとの関係が確立した時からの事、全ての原因はそこにありました。そのことを、キマリに知ってもらいたかったのでしょう。大切な人を欺きたくないという心が、彼女をその行動に駆り立てたのだと思います。
キマリにもめぐっちゃんの気持ちは伝わったでしょう。彼女は「絶交無効」と言い残して旅に出ます。
キマリはこういいたかったのだと思います。
「めぐっちゃんがずーっとしてきてくれたこと忘れない。私が困った時はいつも助けてくれた。悩み事も相談に乗ってくれた。いろんなところに遊びにも行ったよね。それは私の心の中にある大切な想い出、そのことは何も変わらないよ! 今までありがとう...そして、本当なら言いたくない事、そのまま言わなければ分からなくなってしまう様なことも、全部話してくれた。それだけで十分。私にはめぐっちゃんの気持ちが分かるから...私はこれから南極に行くけど、これからもめぐっちゃんとは繋がっていたい。だから...ね。」
ここでの二人の関係を「親友」の要素で見るとこんな感じです。
親友
・恥ずかしいことも、隠したいこともさらけ出せる
・自分の本当の気持ちをぶつけ合って、相手を理解してきた
・自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる
・共通の想いによって支えられている信頼
・場所が離れていても、時がたっても変わらぬ想い
この瞬間2人の関係は、復活しました。むしろ以前よりもいい関係に移行したと言っても良いでしょう。
本当は「自分自身に向き合い、一緒に乗り越えられる」という項目も太字にしたかったのですが、この時点で本当にめぐみが、この問題を乗り切ったとは言えないと思ったのです。たぶん彼女はキマリの言葉を受け入れてないと思います。めぐみにとってキマリとの間で築き上げてきたことが、余りにも大きかったからです。
再び、彼女は自分と向き合い始めます。それは、「自分がどうあるべきか?」を考えるために必要な時間だったのです。本当に「絶交無効」を受け入れていいのか?それで今までしてきたことが精算されるのか?もし受け入れるならどう向き合ったらいいのか?自分は何なのか?そのほか、いろいろなことを考えたことでしょう。 時には昔を思い出して、涙で枕を濡らすこともあったでしょう。その思いを解決するまで、彼女がどんな心の葛藤をしてきたのかは想像がつきません。
過去の自分と向き合い、それまでの価値観を大きくひっくり返すようなことって、私にも経験がありません。例えば会社の上司から人格否定の様なことを言われたらそれだけでも、悔しくて眠れなかったりするものです。きっとそれのもっと大きいバージョンです。違いは自分で気づいたか、人に言われたかですが、これは、人に言われても絶対に受け入れることのできるレベルじゃありません。自分で気づけたからよかったんです。そして過去10年間と言っても、私自身のそれと、めぐみのそれとでは人生に対する割合が違い過ぎます。
いずれにせよ、彼女は最終話ラストで北極に行って、吹っ切れた表情をしていました。本当に良かったと思います。きっとキマリの言葉を受け入れることが出来たんでしょう!これで本当の「絶交無効」となりました。
それまでと全く違う気持ちで旅に出た彼女は、きっと何かをつかんで帰ってくる事と思います。
そして帰ってきた彼女が、キマリとどんな再会を果たすのか?
そんなことを考えて悦に浸っています。
2018/05/14 <たらこ味>
※説明のため、アニメ作中の画面及び、セリフを引用させていただきました。また、画面引用に際しましては、トリミングを行っております。
引用されたアニメ作中の画面の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります
よりもい ~エロに隠された真実~
この作品、度重なる入浴シーンからも「エロ」エッセンスを殆ど感じ取れない貴重な存在ですが、それでも、制作側がどの程度意識して作ったかは別にして、結果的に自然と醸し出される美しいエロチシズムをいくつか内包しています。
そのひとつ目は、結月のおしり。
これは素晴らしい!
ここは少し引いたアングルで描かれていますが、これは結月の孤独感を表現するためでしょう。彼女はスタンドライトだけを灯けて他の灯りを消しています。私もホテルで落ち着きたいときにはこんな感じにするかもですね。スタンドライトも光量が調節できるタイプなら少し落とすでしょう。
閉鎖された空間の中にポツンと彼女だけが横たわっている...その心の闇を演出するための小部屋。限定された光が彼女の体を照らしてはいますが、その光は弱く、心の中を投影しているように見えます。
結月がキマリから受けた抱擁の感覚を、思い出しながら悶えるこのシーンは、非常に美しくかつ寂しく、そのどうにもならない想いを全身を使って表現しています。
しかしながらこの場面、周りが暗く、どうしても視線がおしりに集中してしまいます。この場面にエロスを感じてしまうのは男として当然のことではないでしょうか?そして何より嬉しいのは、結月のおしりがその視線に耐えられるほどの、いや、欲情をあおるほどの良いおしりであるということなのです!!
くびれたウエストから盛り上がる腰のライン、そして誇張されて描かれたわけでもないのに、しっかりと存在感を示す二つの盛り上がり。その部分を包む布に与えられたしわ。誇張されていないからこそのリアルな柔らかな感覚を、このシーンは強要してきます。
本作で一番「エロチシズム」を感じさせてくれる場面であることは間違いありません!
ただこの場面は、結月の内面を丁寧に表しているシーンでもあります。その魅惑的なおしりに視線を奪われていると、その描写に気付かないのです。
もう叶わない...
ここからは、結月のおしりと格闘しながら、何とか私自身が感じ取ったことを書いてゆきます。
まず前提として、彼女の精神状態がどうなっていたのかを捉えておく方が良いと思います。彼女は簡単に自分の夢を諦めてしまう子ではありません。悩みが深刻になると、悪い方向へ考えが拡大していってしまい、抜け出せなくなる傾向はありますが、通常のことであればうじうじ悩むタイプでもないでしょう。強い精神力を持ち、自己主張もしっかりと出来ます。ただ、彼女が夢見ていることは、彼女が3人に南極行きを持ちかけた時点ですでに、消えかけていました。それほどの危機的状態だったからこそ、わざわざ歌舞伎町から3人を追いかけてきたのです。
彼女にとって大切なのは、自由な時間を作り、友達としゃべったり、お茶のんだり、どこかに一緒に行ったりすること。そうして友情を育み喜びや悲しみを共有できる関係を築くこと。大人たちと一緒にいるだけではそうした、心を割って話せるような関係にはなかなかなれません。彼女に大人になるまで待つという選択肢はもちろん、高校2年生になるまで待つという選択肢もありませんでした。作中で本人が言っているように、入学したばかりの今、いい関係を作っておかないと、そのうちどこのグループにも入れなくなる。
彼女の望みの綱は、友達候補と思っている2人との関係ですが、ここでも生きる世界の違いが邪魔をしてなかなか、思うように事は運びません。普通、芸能人というだけで特別扱いし、お付き合いを試みようとする不逞の輩が増殖してもおかしくないところですが、物語としてはこの2人をキマリたち3人と対極にあるものとして設定しています。恐らくその方が、うまく物語が転がって行くからでしょう。
2人は結月の気持ちを考えようともしません。「あんたに合わせてたら何にもできない」という声が聞こえてくるようです。LINEのやり取りを見る限り、彼女ら2人は結月のことを、「面倒な奴」、「邪魔な奴」といった感覚で見ているように思います。結月にもそのことは分かっています。だから、少しでも時間が作れればという思いが、より強くなっているのでしょう。逆に彼女たちとの関係が今よりももっと悪くなったら、もう取り返しがつかなくなってしまう。だから今でなきゃだめだと言っているのです。2年までなんて待てないのです。
今の結月にとって、悪いのは母親(民子)であり、芸能活動であり、そうした自分ではどうすることもできない環境です。民子もそれを知り、学年が上がったら時間を作れるようにすると約束するのですが、彼女にはそれを待つ精神的な余裕も現実的な時間もありませんでした。
では、もしもキマリ達3人との出会いが無かったら、彼女はどうしたのでしょうか?
彼女は現実的な選択を最終的にはしたんじゃないかと思います。
友達候補2人との関係も清算して、芸能活動に邁進する道です。
根拠は、南極観測隊員親睦会に参加していたこと。
そもそもこの親睦会に出ている時点で、南極観測隊に参加する意思表示の様なものです。では、なぜ彼女は参加していたのでしょうか?
まず、スケジュール管理はすべて民子が行っていました。彼女はそれに従わざるを得ないという環境です。「これは仕事、あるいは仕事をする上で必要な準備」という名目であれば、結月は断れません。最初は不参加の意思を表明しつつも最終的に抗しきれず、渋々参加したというところではないでしょうか?
芸能界で生きるためのすべての窓口が民子であり、自分が生きていくためにはそれを無視することはできなかったからです。
思春期になれば、人間はいろいろな事を考えます。彼女は自分の自我が芽生えた時(作中でその時期が明確に描かれているわけではありません)、「自分の時間を持ちたい」と思うようになったことでしょう。
それは、移動の間の自由時間などではなく、「自分の意志で自分のために使える時間」という事です。「自分のことを自分で決める」そんな当たり前のことが、結月にはできないでいました。そしてその思いを叶える象徴的なものが、「友達を作る行為」だったと言っていいと思います。
芸能活動が第一優先。その状況が変わらなければ、結月が求めているものなど手に入るはずがないのです。それは彼女にも重々分かっていたことです。
そして、彼女の努力にも関わらず、友達候補2人との関係は芳しくない状態でした。
つまり彼女にとって、自身の自我の芽生えとともに抱いてきた小さな夢は、消えようとしていたのです。すでに心の奥には"もう叶わないんじゃないか?"というあきらめのような気持ちがあったのではないでしょうか?
そこに現れた女子高生(ひとり違うけど)3人。
ある意味、この3人が消えかけていた彼女の心に、もう一度火を灯す役割をしたと言っても良いと思います。
"「南極に行きたい」と思っている人がいる。自分の企画をその人に渡せばいいじゃないか!しかも女子高生だし企画の趣旨にも反しない!これだ!これしかない!!"
結月にはそのアイデアにしがみつきたい思いがあったでしょう。こんなチャンスは滅多にないと!
しかし、そんな簡単に物事はひっくり返りません。
結局すぐ民子に見つかって、その話はなかったことになってしまいます。
ここでは、報瀬がもうちょっとしゃべれたらとか、日向のルックスがとかは考えません。逆に要件が整っていなかったからこそ、結月との交友関係がその後築けたのです。
彼女は、民子に対して何度も訴えてきたはずです。民子もそのことを気にかけ、それなら2年生になった時にと答えたのでしょう。でもそれは大人の尺度でした。結月にとっては意味のないことです。彼女は民子にそのことを分かって欲しかったのです。でも言葉が足りていません。それは彼女が民子と親子関係で、ずっと一緒に暮らしてきたからかもしれません。
それでも結月は最後の抵抗を見せます。自分がなぜ、そのことに拘っているのか、なぜ今でなければいけないのか、分かって欲しいのです。
でも彼女は、最終的にダメだった時の準備も、きっと心の中で密かにしていたことでしょう。自分が大きく傷つかないために...
ファミレス
ホテルでのシーンの伏線となっているのがここ。
日 向「ここ?」
キマリ「うん」
報 瀬「305号室」
305号室、つまり、結月の泊っている部屋は3階ということ。
ビルの高さはワンフロア4mほどですが、ホテルの客室部分は3mほどです。受付のある1階は4m、客室のみの2階以上は3mと考えると、3階は地上から7m程の高さにその床があることが分かります。飛び降りるには危険ですが、梯子が十分にかかる高さでもあります。そうしたリアリティ感も大切にしているという事でしょう。
ここで、思いがけず結月が出てきたため、日向が機転を利かして三文芝居を打ちます。
報瀬が思いっきり見切れているのが笑いを誘いますね!
結月にはこの3人が何のために来たのかは、当然察しがついていました。本当の目的は分らなかったでしょうが、この不自然な行動を見れば「何か隠してますよね?」と思うのも無理のない話です。
ファミレスで話を始めると、隠していたものはすぐにバレてしまいます。
結 月「母に何か言われましたね。行くよう説得してくれとかなんとか。」
でも3人の目的はちょっとだけ違っていました(最終目的は変わっていないけど)。それがこの後生きてきます。
そしてやってきましたこのシーン。
結月はまだ2回しか顔を合わせたことの無い相手に、いきなり抱擁されて戸惑ったことでしょう。なおかつ、誰からも同様の行為を受けたことがないことを、この後のホテルのシーンで語っています。結月にとっては人前でキスされたぐらいの衝撃だったかもしれません。(セクハラで訴えられても仕方がないレベル)
そして結月は、3人が親友同士だと思っていましたが、知り合って一ヶ月もたっていない、さらには「一緒に遊びに行ったこともない関係」だと知り驚きます。
唯一その一点において、自分とこの3人は現時点(過去は一緒にならないが)で同じ状態であることを知ります。
キマリ「ただ同じところに向かおうとしているだけ」
キマリ「ねーっ」
報 瀬「ねっ」
日 向「ねー!」
たとえ親友でなくとも、同じ目的に向かって一緒に歩いている。その想いで心が通じている、という感覚を恐らく感じ取ったのでしょう。ただ、言葉で説明できるほどには分かっていません。結月にとってそれは「うらやましい」という感覚だったかもしれません。でも、このシーンが心のどこかに残っていた。だから第10話であのLINEを打つことができたのかな?と思います。(考えすぎかも..)
もう一つ、「3人の目的がちょっとだけ違っていた」件ですが、これはアニメの中で明確に描かれています。
この場面ですね。
日 向「あれだけ嫌がってるってことは、それなりに行きたくない理由があるってことだろう」
報 瀬「寒いのが嫌だからじゃなくて?」
日 向「端的にって言ってただろう、他に言いたくない理由があるってことだよ。」
キマリ「日向ちゃん、おとな~!」
報 瀬「理由って?」
日 向「それは分からないけどさ、まずそれを聴いてみるのが先なんじゃないのか?」
ちょっと違った目的というのはこのことです。結月の気持ちをきちんと聴くという事ですね。
彼女がなぜ行きたくないと思っているのかを聴くことができれば、それをもとに解決策が考えられるかもしれない。解決できれば南極に行ける。
ここでは3人が結月の気持ちをきちんと聴くことができ、その後の展開に希望を繋げます。
結月は言いたくなかったはずです。自分が抱えている悩み、その根幹を人にさらけ出すなんて恥ずかしくてできないはずです。精神病のカウンセリングでも、そんなに早く病巣の根幹にはたどり着けないのです。
ただ、結月には最初にこの話を自分から持ってきた経緯があり、それに端を発してこの状況になった、という認識はあったはずです。また相手は、自身が話をしたり一緒にどこかに行きたいと願っていた同年代の女子です。そして、彼女の切羽詰まった状況が彼女自身に、その過去を伝える第一歩を踏み出させたのではないでしょうか?
ここで重要なのは、3人が話(結月の悩み)をきちんと聴いたことにより、彼女の心に変化をもたらしたという事だと思います。彼女の心の中に3人が良いイメージでしっかり刻み込まれ、その夜の「夢」となって表れます。彼女には3人に対し何かを期待する気持ちが芽吹いたのかもしれません。
ホテルのシーン(ベッドシーン)
ここから本題のベッドシーンに移ります。
まずここで、ホテルの部屋が何を意味しているのかを考える必要があります。
それは結月が今置かれている状況、彼女を縛っているもの(芸能界の仕事や民子)に置き換えてみることにします。それは自身の力でなかなか変えることができないもの、つまり幽閉されていると言っても良いかもしれません。但し、それが自分の生活を成り立たせているものでもあります。だからこそ簡単に外に出られないのです。そのハードルの高さをホテルの3階という高さで表しているようにも見えます。
そして部屋の外、そこは自由な世界。人々が友達を作ったり、自分のしたいことをしている世界とします。但し、厳しい世界、自分で責任を取らなければいけない場所です(風が吹き荒れている)。
結月はキマリからされた行為を思いながら悶えています。(きっとその時の感覚が残っていたのでしょう)
結 月「友達ってあんな感じなのかな?」
彼女には経験がないので想像するしかありません。
そしていつしか眠りに落ちます。
"こんこん、こんこんこん"
窓の外から音がします。
彼女はそれに気付きます。
窓のカーテンが風にそよぎ、外の世界からメッセージがあることを暗示します。窓は現時点で唯一部屋の中と外の世界とを結ぶ接点なのです。但し、ここは3階。普通の人は上ってこれません。
気になった彼女はカーテンを開け外を見ます。
そこには梯子に乗ってキマリが迎えに来ています。(キマリの下に日向、その下に報瀬もいます)
キマリ「やっぱり南極に行こう!」
南極に行くという共通の目的のために心を通わせていた3人。結月はその3人を羨ましく思っていました。でも出た言葉は、
結 月「なにやってるんです?怒られますよ!」
彼女は永らく芸能界で生きてきました。そのため、その世界でのルールに従う事が自身を守るという事を身をもって経験しています。自分が3人と行動を共にし、ホテルの部屋から出るという行為は、そのルールを破ることだと心得ているのです。
日 向「いいから行くぞ!」
報 瀬「風強いから、早く!」
催促する二人。
結 月「いや、でも、私は...」
それでも、一歩踏み出せず思案する結月。
しかし、ついには手を伸ばしてキマリと手をつなぎます。
ゆっくりと傾いてゆくはしご。
落ちてゆく4人。
ベッドから落ちた結月は、夢であったと気づきます。
それを確かめるため、窓辺に行きカーテンを開けます。
そこには誰もいません。
当たり前です。「夢」だったのですから...
変わらぬ日常にほっとした感情があったのかもしれません。
"いるわけないよね"そんな言葉にもならない声が聞こえてきそうです。
そして変な夢であったことに、おかしさがこみ上げ笑いますが、直後現実ではなかったことに対する失望感から、表情を曇らせます。
結月はなぜ、こんな夢を見たのでしょう?
それは、「自分が望んでいたもの」ではないでしょうか?
自身の心の中に「こうなったらいいな」と思う願望が、夢となって表れたのだと思います。
やがてベッドに座りLINEを確認します。
自分が発したメッセージに対して、2人からの反応が無いかと気になったからです。
今までの経験から、期待はしていなかったはずですが、それでも彼女は少しの可能性に自分の想いを込めたかったはずです。
案の定、2人からは何もなく、退出したあとでした。
その時の画像がこれです。
ここで、薄暗い部屋の奥にドアが映っていることに注目してください。
このドアが、この後でもう一つの外の世界(現実という)との接点になるのです。そのため、こうしたアングルをあえて入れたのだと思います。
そして反対からのアングル、ドアと反対の方を映して、逃げ場のない結月を表現しているように見えます。窓には外の景色が見えますが、そこから抜け出すなんておとぎ話の世界だったのです。
"現実に私を連れだしてくれる人なんているわけがない"
そう思い、肩を落とす結月。
しかし、ここで事件が起きます。
"こんこん"
結 月「はっ」
思わず反射的に立ち上がろうとする結月
"でもそんなわけない。私を連れだしてくれる人なんていない。"(これもきっと夢だ)
"こんこん"(より強い音)
結 月「はっ」
初めてドアの方を振り返る結月(夢じゃない!)
ドアを開ける結月
キマリ達3人が迎えに来ている。
この時の結月はどんな気持ちだったのでしょう?
確かに結月は感じていたはずです。3人に期待を寄せる気持ちがあることを、そしてそれが現実になりました。でもまだ自分を部屋から連れ出してくれたわけではありません。
どうして来たのか?その目的は何なのか聞きたかったはずです。
その答えは3人が勝手に話してくれました。
報 瀬「しょうがないでしょ、東京まで行くんだから。」
結 月「東京!?」
キマリ「あっ、うん、結月ちゃん、東京で仕事だーって言ってたから、もしよかったら、一緒に行こうかなーって」
3人に期待を寄せていたものの、まさか自分を一緒に誘ってくれるなんて、思いもよらないことだったでしょう!
窓と反対から来た3人でしたが、自分が成し遂げたかったことを、自分からお願いしたわけでもないのに、叶えてくれたのです。
諦めかけていた自分の夢が、やっと初めて叶いました。
それは小さなちいさな夢ですが、結月にとっては大きなおおきな一歩だったはずです!
大粒の涙を流す結月、そしてその涙は止まりません。堰を切った水のように...
全く予期していなかったことが起こったために、心は制御を失い涙がとめどなく溢れる結果になったのでしょう。
そのあと彼女たちはどうしたか?
3人がホテルの部屋に入り、そこで結月が民子に電話をしています。
結月が見た夢では、彼女を助けに来るのは同じ3人でも、アクセスしてきたのは真逆の窓の方です。そして彼女を、自由な世界へ連れだそうとしました。つまり、結月を縛っている芸能界や民子から切り離すことで、彼女を救おうとしています。でもそれは現実的な方法ではありません。
実際には3人が部屋に入ったことで、母親が用意していたプランを受け入れたことになります。それは民子が報瀬に依頼していたことでもあり、双方が望んだ結末でした。
それまで、自分がしたいことを阻害していると思っていた、芸能界や民子が自分を後押ししてくれる立場に180度転換したのです。これは結月にとってどれほど心強かったか分かりません!
民子の提案が、たまたま結月の希望に合致したのですが、しかし、ここまでの流れがうまくいかなければ、結月は3人に自分の過去を打ち明けなかったでしょうし、それがなければ心を開くこともなかったでしょう。
この部屋の仕掛けは、結月の心境を表現するものとして実に良く出来ていました。
でも、このおしりが邪魔をするのです!!
おまけ!
ここまで書いて気になったことがひとつあります。結月と別れた後、3人がどんな話をしたかという事です。
報 瀬「私たちは説得するしかなかった。でも...」
日 向「ま、これで良かったんじゃない?」
報瀬を見て微笑む日向
それを受けて微笑む報瀬
キマリ「ほー...」
ここで3人が南極行きを諦めたわけではもちろんないですね。
日 向「...で、明日どうする?」
報 瀬「東京で仕事が始まる前に何とかしないとね...」
日 向「朝どっきりはダメだぞ。」
報 瀬「わかってるわよ!」
日 向「問題なのはどうやって説得するかだ。」
報 瀬「朝の短い時間で説得は難しいでしょ?東京の南極・北極科学館っていう所で、極地のいろいろな展示をしてるんだって。それに誘うのは?」
キマリ「うわ~、面白そう、行くいく!」
日 向「お前のために行くんじゃないぞ」
キマリ「でも、結月ちゃん友達いないって言ってたし、一緒に行ったら喜ぶんじゃないかな?!」
日 向「それだ!!」
報 瀬「うん!」
日 向「よし!けって~い!」
報 瀬「営業10時からだから、7時半に出れば何とかなるわね。」
日 向「早すぎるだろ!」
報 瀬「仕方ないでしょ?東京まで行くんだから。」
前からの流れだとこんな感じですかね?
設定が分かっているのにセリフを考えるのがこんなに難しいとは...
あとがき
最初は結月の魅力的なおしりについて書き、でもその裏でこういう事も表現してるんだよと、簡単に書こうと思っていたのですが、えらく長くなってしまいました。
もしも、ここまで読んでいただける方がいたとしたら、大変ありがたいことです。
ありがとうございます!!
※説明のため、アニメ作中の画面及び、セリフを引用させていただきました。また、画面引用に際しましては、トリミングを行っております。
引用されたアニメ作中の画面の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります
よりもい オリジナルサウンドトラック+OP+ED+挿入歌 かかった回数ランキング
TVアニメ「 宇宙よりも遠い場所 」 オリジナルサウンドトラック
- アーティスト: 藤澤慶昌
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2018/03/28
- メディア: CD
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TVアニメ「 宇宙よりも遠い場所 」オープニングテーマ「 The Girls Are Alright! 」
- アーティスト: saya
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2018/02/21
- メディア: CD
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宇宙よりも遠い場所のアニメの中で流れていた曲を、何回流れていたのかカウントしてランキングを作りました。
OP、EDは回数が多いのは当然として、他にも8回流れていた曲が2曲もあったのは驚きでした!
皆さんは曲名からどんな曲か想像つきますか?
「憩いの自販機前」なんて画像が浮かびますよね!でも実はこの曲、自販機の場面では一度も使われていないんです。
「忘れ形見」というと報瀬のお母さんのパソコンを思い出しますが、実際にこの曲が使われているのは最初のキマリが砂に水を貯めて「淀みの中で蓄えた力が爆発して、すべてが、動き出す!」って言ってる場面だけですし、そういったことをひとつづつ発見していくのは結構楽しいことでした。
本当はもっといろいろ書きたいのですが、うまくまとめられる気がしませんので、今回は、このランキングのみの発表で終わりたいと思います。
また機会がありましたら、各話3話ぐらいづつまとめてになるか分かりませんが、どのシーンでどの曲がかかっていたのか、綴っていきたいと思います。
順位 曲名 回数(作中で流れた数)
1 ここから、ここから(ED曲) 12
2 The Girls Are Alight(OP曲) 11
3 憩いの自販機前 8
3 無理無理無理! 8
5 青春のはじまり 6
5 ホッと一息 6
5 えーっと...え? 6
5 ひとりぼっち 6
5 もう届かない想い 6
10 南極の太陽 5
10 いい天気だねー 5
10 だぁかぁらぁ! 5
10 最後まで諦めない 5
10 ハルカトオク(挿入歌) 5
15 朝が来た 4
15 よっし始めようか! 4
15 待って待って待ってー 4
15 き゛も゛ち゛わ゛る゛い゛... 4
15 確かめたいことがあるから 4
15 ともだち 4
15 状況説明 4
15 宇宙を見上げて(挿入歌) 4
15 (不明) 4
24 通いあうココロ 3
24 まあなんとかなるんじゃない? 3
24 大人からのYell 3
24 消せない記憶 3
24 The Girls Are Alight! ~Piano Version~ 3
24 またね(挿入歌) 3
24 フォローバックが止まらない(挿入歌) 3
31 のんびり昼下がり 2
31 井戸端会議 2
31 夕暮れ時の帰り道 2
31 何か隠していることはなぁい? 2
31 私たちは必ず南極に行く 2
31 溢れ出す思い 2
31 親友との約束 2
31 One Step(挿入歌) 2
39 あ゛ー... 1
39 忘れ形見 1
39 おもいで 1
39 心に絡まる鎖 1
39 ぜっこう 1
39 Bon Voyage! ~Main Theme~ 1
39 予感 1
39 きっと忘れない 1
47 南極少女 0
47 軽く死ねますね 0
47 ちょっと待ちなさーい 0
47 見つけた答え 0
47 失った親友の面影 0
47 失われた命 0
47 任務遂行 0
47 緊急事態 0
47 ここから、ここから~Acoustic Version~ 0
※説明のため、アニメ作中の画面及び、セリフを引用させていただきました。また、画面引用に際しましては、トリミングを行っております。
引用されたアニメ作中の画面の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります
宇宙よりも遠い場所 ~青春を考える~
まずタイトルがこっぱずかしいです。
「青春」なんてキナ臭い言葉、そんなものをわざわざ掘り起こして、改めてその意味を考えてみようなんて、普通なら思いもよらないことです。
人生のある時期、人が未来に夢を抱いて、でも結局現実の世界に引き戻されてゆく、一部夢を実現できる人もいますが、それはほんの一握りで、多くの人にとってそれは「若き良き時代」という、もう取り戻せない過去の物語だったりします。自分自身を振り返っても、それは「浅はかだったころの自分」「すでに終焉したもの」というイメージで心の隅に小さく固められているようなものでした。
それを改めて考えてみようという気持ちになったのは、「宇宙よりも遠い場所」という作品を見て、今まで観た中でNo.1のアニメだという感覚がありながら、「青春」という言葉の重さが自分が感じている重さと全然違うという、釈然としない想いがあったからです。ならばきちんと確認をして、理解しようと...
では最初に釈然としない部分について書いてゆきましょう。
私がそう感じたのは、第12話での雪上車の中で、目が覚めたキマリが報瀬に「青春できた!」と言っているシーンです。
そのシーンを再現してみます。
報 瀬『キマリは、南極好き?』
キマリ『ん、だーいすき!』
報 瀬『そう。』
キマリ『でもね、ひとりだったら好きだったか、分からなかったかも...』
報 瀬『そうなの?』
キマリ『みんなと一緒だから..みんなと一緒だったら、北極でも同じだったかも...』
キマリの話にじっと聞き入る報瀬
キマリ『ねぇ、報瀬ちゃん、連れてきてくれてありがとう。報瀬ちゃんのおかげで私、青春できた!』
その言葉に感動する報瀬。
ギターの音(曲名:大人からのYell)
報 瀬『Dear お母さん。友達ができました。~中略~もうすぐ着きます。お母さんがいるその場所に。』
すごくいいシーンですよね!
では、以下私が感じたままを書きます。
① キマリの想いは理解できるがどうして最後に「青春」という軽い言葉を持ってきたの?(それまで経験してきたことの重さと釣り合わないなあ~?)
② その軽い言葉に報瀬が どうしてそこまで感動するの?
③ その後報瀬が語ったメールの内容 「どうして今更友達?」
もうお分かりかと思うのですが、前述の通り「青春」という言葉は私の中で、過去の経験から触りたくも見たくもない存在と化していたのです。恐らくその意識を正当化するため、その言葉には大した価値などなく、軽いものだという固定概念を持つようになったのでしょう。なので、同じ場面を何度繰り返し見ても、その想いは変わることがありませんでした。
ただ、この作品の重要な場面で、自身が理解できない部分があるというのはどうにも気持ちの悪いものでした。そこで、「青春」という言葉について考え始めたのです。
考えると、その答えにたどり着くのに、それほど時間はかかりませんでした。
「青春」という言葉を「壮年」や「老年」と同じく人生のある期間を指し示す言葉として捉えると、人の生きざまそのもの、つまり成長や喜びや悲しみ、悩みなど全てをひっくるめたスケールの大きな言葉になります。ただ、「壮年」や「老年」と違うのは、それが人生の中で一番精神的に成長する時期に割り当てられた言葉だという事です。いろいろなことに挑戦できて、様々な失敗もし、でもそれすら吸収し成長の糧として生きて行ける輝かしい時、それが「青春」なんだと思い当たりました。そして、そう考えることで、すべての謎が解消されたのです!(「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんが、自分が既に知っている気になっていても、実は異なるイメージが付加され、それが正しいと思っていると、本来の意味に気付くことがなかなか出来ないものです。)
上記の疑問点の回答はこうです。
① 「青春」は軽い言葉ではない。「友情」「勇気」「希望」など生きるうえでの大切なものを全て包含できる大きな言葉である。(キマリは4人でそれまで乗り越えてきた様々な経験をこの言葉に込めて「青春」と言っている。)
② ならば、これは感動せざるを得ない。(報瀬はそれを汲み取った。)
③ その気持ちを胸に、改めてここまで一緒に来てくれた彼女らのことを想い、そのことをお母さんへ伝えたくなった。お母さんのいる場所はもうすぐそこ。そういった気持ちも相まって、お母さんに今の自分の気持ちを綴るメールを送ったのでしょう。
という訳で、この件は一件落着という所ですが、私の中で、全く違った価値観を持ち始めたこの言葉について、この作品でポイントとなる部分を確認してみました。
この作品において「青春」は、物語を通して、ずーっとテーマとしてあり続けた言葉です。
その言葉は第1話で、キマリが手帳に記していました。他の目標は具体的な小さな目標ですが、それはこの物語のテーマと言っても良いほどのものです。 なので、2ページ目という特別な場所に書かれていたのですね!
キマリは何一つ目標を達成していない、それどころか今までそれに気づかず、のほほんと過ごしていた。そのことにショックを受け大泣きします。
その時点でキマリにとって「青春」という言葉の重さが、自分が思っているそれとは比べ物にならないものだと知るべきでした。
キマリにはなかなか最初の一歩が踏み出せない臆病な面と、まだ見ぬものに対する好奇心や、何かやりたいという強い思いが同居しています。第1話でずる休みをする計画を立てながら、できなかった自分に対する嫌悪感の強さが、その中に秘めた強い思いを物語っているように見えました。キマリにとってその想いを実現することこそが「青春」なのです。ただ、それは若いころ誰もが持っている漠然としたもの、それが何なのか自分自身でもわからず、多分ワクワクしたり、自分の成長を実感できたりすることが、そうなんじゃないか?と思っていた...その程度のものだったのでしょう。
ここで重要なのはキマリが想い描いていた「青春」の中身ではなく、その想いがどれほど強いのか、なのだと思います。
その思いが強くなければ、彼女は結局報瀬についていくだけの金魚のウンコ的な役割しか果たせなかったでしょう。もっとも強い思いがなければ、第1話での呉港への旅も一歩踏み出すことは叶わず、そうなれば報瀬との関係もそれっきりになっていたかもしれません。第2話最後の日向が発した「緊急動議」に間髪入れず賛成したのは、その気持ちの表れと、推察することができます。
ここからキマリ(たち)は様々な経験を経て、ついには南極へ向けて旅立ちます。
旅の途中も、南極についてからも、4人で歩いてきた道にはいろいろなものがありました。それまでの経験も、考え方も違う4人。互いに助け合いながら、足りないところを補い合って、生きてきました。この4人にとっての「青春」とは、ここに来るまでの旅の中で培ってきた、友情や信頼関係など(そのほかアニメで描かれていない数々の経験)であると思います。もちろんそれが100%ではありませんが、4人の「青春」は濃密な時間を共有してきたことで、同じ想いで結ばれている、と言っていいと思います。
後に報瀬は、第13話越冬隊との別れのあいさつの中でこう言います。
『(母は)仲間と一緒に乗り越えられるこの時間を愛したのだと』 この言葉こそが「青春」という言葉の中身なのだと、端的に表した言葉なのだと考えるに至りました。
そして南極で越冬する大人たちも、間違いなく「青春」を謳歌している仲間なのだと知ることができました。
本作品DVD&ブルーレイ第1巻のカスタマーレビューでも書かれている方がいますが、正に「青春賛歌」と呼ぶにふさわしい物語であったと思うのです。
https://www.amazon.co.jp/dp/B078KCR5WH/ref=pe_1807052_289327182_tnp_email_dp_1
今回この「青春」という言葉を考えることで、最終的にこの作品の深さに、より感銘を受けることとなりました。
※説明のため、アニメ作中の画面及び、セリフを引用させていただきました。また、画面引用に際しましては、トリミングを行っております。
引用されたアニメ作中の画面の著作権は、(C)YORIMOI PARTNERS 様にあります